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東京高等裁判所 昭和47年(う)563号 判決

被告人 廣瀬[王宗]一

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月に処する。

原審および当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、東京高等検察庁検事味村治が提出した静岡地方検察庁富士支部検察官検事岡田明久作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は弁護人長谷川安雄作成の答弁書に記載されたとおりであるから、それぞれこれを引用する。

控訴趣意第一点(法令適用の誤り)について。

所論は、原審は、被告人に対し「懲役六月に処する。但しこの裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。」旨を言い渡したが、被告人は昭和四四年五月二六日静岡地方裁判所富士支部において別件の道路交通法違反罪により懲役四月、三年間執行猶予の判決を受け、同年六月一〇日確定し、目下執行猶予中の者であるから、原審が本件につき刑法第二五条第一項を適用して刑の執行猶予の言い渡しをしたことは法令の適用を誤つたもので、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

そこで考察するに、原審は所論の判決を言渡しているところ、当審において取り調べた昭和四六年一二月一四日付前科調書および昭和四四年五月二六日言渡しの被告人に対する道路交通法違反被告事件判決謄本によれば、被告人は昭和四四年五月二六日静岡地方裁判所富士支部において道路交通法違反罪により懲役四月、三年間執行猶予の言渡を受け、同判決は同年六月一〇日確定し、目下その執行猶予中の身である事実が認められるから、本件犯行は右刑の執行猶予期間内になされたものであるために、刑法第二五条第一項を適用して刑の執行猶予を言い渡すことはできないのである。従つて、原判決は法令の適用を誤つたものであるというべく、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。論旨は理由がある。

弁護人は、法令適用の誤りとは、認定された事実に対し実体法が正当に適用されていない場合をいうものであるが、原判決は被告人が前記懲役刑の執行猶予の判決を受け、該判決が確定し目下執行猶予中である事実を認定していないから、認定した事実に対する法令適用の誤りは存しないと主張する。

よつて検討するに、刑事訴訟法第三八〇条の法令適用の誤りとは、主として認定された事実に対して正当に法令が適用されていない場合をいうものであることは、弁護人主張のとおりであるが、検察官の本件控訴は、被告人には訴訟記録および原裁判所で取調べた証拠に現われていない執行猶予の障害となるべき前科のあることが判明したとしてこれを援用し、その存在を知らないために刑法第二五条第一項を適用して執行猶予の言い渡しをした原判決に法令適用の誤りがあるということを理由に申し立てられたものであることは、本件控訴趣意書の記載内容自体によつて容易に看取されるから、本件控訴趣意第一点が単なる法令適用の誤りを主張するものであることを前提として、原判決に法令適用の誤りがないとする弁護人の主張は採用できない。

控訴趣意第二点(量刑不当)について。

記録を調査し当審における事実取調の結果を併せて検討すると、本件のような無免許による酒酔い運転は事故発生の危険性が極めて大きくその責任は重いが、被告人は無免許および酒酔い運転などの道路交通法違反罪による罰金前科三犯あり、さらに昭和四四年五月二六日無免許運転の道路交通法違反罪により懲役四月、三年間執行猶予に処せられ、その猶予期間中に本件犯行を敢えてしたことに鑑みれば、遵法精神の欠如が著しくその犯情は重いというべく、被告人を懲役六月に処し、三年間右刑の執行を猶予した原審の量刑は軽きに失したものと認められる。論旨は理由がある。

弁護人は、検察官は、原審で取調べられなかつた新証拠に基き、量刑不当の控訴理由を基礎づけようとしているが、新証拠に基く新事実は、刑事訴訟法第三八二条の二第一項によれば、やむを得ない事由によつて第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかつた証拠によつて証明することのできる事実であり、右の「やむを得ない事由」とは当事者の怠慢防止の趣旨から物理的不能の場合に限定されると解されているところ、本件における新事実は検察官が検察事務官をして正確な前科調書を作成させさえすれば、容易に原審で証明しえた事実であるから、物理的不能の理由により取調を請求しえなかつた証拠により証明できる事実とは認められないと主張する。

よつて検討するに、検察官が控訴審で被告人に対する真実の前科事実を認定するための資料として新たな前科調書等の取調を請求することができるのは、刑事訴訟法第三八二条の二によるべきものと解されるが、同条第一項にいう「やむを得ない事由によつて取調を請求することができなかつた」とは、請求しようとしてもできなかつたという物理的不能の場合のほか、当該証拠の存在を知らなかつたために取調を請求することが不可能であつたときもこれに含まれるものと解するのを相当とするところ、原審において取調べた証拠および当審における事実取調の結果を併せ考察すれば、被告人は昭和四六年七月八日富士区検察庁検察官事務取扱検察事務官の取調を受けた際、前科は無免許や酒酔い運転で二回罰金に処せられているだけである旨供述し、無免許運転で懲役刑に処せられ、刑の執行猶予の言渡を受けた事実についてはこれを秘匿していたことが認められる一方、原審においては被告人の右供述をそのまま措信した静岡地方検察庁富士支部の担当検察官において、富士区検察庁検察事務官が作成した罰金前科二犯のみが記載されているに過ぎない昭和四六年六月九日付前科調書を証拠として取調を請求し、原判決は、これに基いて言渡されたものと察せられる。被告人の前科の有無のごとき重要な事項は、捜査官としては極力調査すべきであり、前科調書の作成、提出にあたつては、記載洩れなどが存しないように慎重に処理すべきであつて、右前科はその事務処理の実際にあたる検察事務官が正確な前科調書を作成しておれば、原審で容易に証明しえた筈であるが、近時交通事犯の激増に伴い、カード等を用いて簡便にこれを処理せざるを得ないような実情に立ちいたつており、その事務処理の実際にあたる検察事務官において時に本件のような記載洩れの如き手落ちを犯すこともまたやむをえないといわざるを得ないところ、本件においては、富士区検察庁検察事務官木村実作成の上申書によれば、昭和四六年六月九日付前科調書は、同月一〇日交通切符即日処理日に、道路交通法違反被疑事件(無免許運転および酒酔い運転)で被告人の出頭が予定されていたので、同事務官において静岡地方検察庁犯歴係に電話照会し、該電話回答に基いて作成したため、道路交通法違反罪の罰金前科二犯のみの記載がなされたのであるが、原判決言い渡し後、富士区検察庁検察事務官が被告人に対する別件の道路交通法違反罪による刑の執行猶予の前科の存在を偶々記憶していたため、再度右犯歴係に照会し、前科調書を同係で作成した結果、前記執行猶予付懲役前科の存在を確認し得たことが認められる。このような事情のもとにおいては、前記執行猶予付懲役刑のあることを知らなかつた検察官が、原審弁論終結前に刑法第二五条第一項による刑の執行猶予言渡しの障害となるべき被告人の前科に関する証拠の取調を請求することができなかつたことは、前記「やむを得ない事由」によるものと解するのが相当である。とすれば、検察事務官の手落ちによつて脱漏した執行猶予付懲役刑の記載洩れを補正して新たに作成された前科調書は、刑事訴訟法第三八二条の二第一項にいう「やむを得ない事由によつて第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかつた」証拠に該当し、これを前科に関する客観的な真実に沿う証拠として、検察官が控訴審において新たに取調を請求することは同条項および同法第三九三条第一項によつて許されるものといわざるを得ないし、控訴審は右請求による証拠を取調べ、これを原判決の当否を判断する資料とすることができるものと解すべきであるから、弁護人の主張は採用できない。

よつて刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八〇条、第三八一条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により、本件につき更に次のように判決する。

原判決が認定した事実に法令を適用すると、被告人の原判示第一の所為は道路交通法第六四条、第一一八条第一項第一号、同第二の所為は同法第六五条第一項、第一一七条の二第一号に該当するので、いずれもその所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により重い原判示第二の罪の刑に同法第四七条但書の制限に従い法定の加重をした刑期範囲内で、前記の事情を考慮したうえ被告人を懲役六月に処し、原審および当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文により被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

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